牧師コラム 『みこころの通りに』 2019年6月16日

牧師 高橋勝義

イエス様は弟子たちを連れて、いつものように祈るためにオリーブ山に行かれました。しかし、この時の祈りはいつもとは違っていました。
イエス様の額からは、汗が血のしずくとなって地に落ちる程に、「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。(ルカ22:42)」と苦しみ悶えながら祈られたのです。「この杯」とは、十字架刑のことです。

それは当時のローマ帝国の刑の中で、最も残忍でむごい刑罰でした。
囚人は両手首と両足首を釘で十字架に打ち付けられ、長時間放置され、やがて呼吸困難に陥り、死に至るのです。

では、なぜ、罪なきお方イエス様が十字架刑を受けなければならなかったのか。それは、父なる神のみこころだったからです。
私たちが神から離れ、神を捨て、自分中心に生きてきた「」をイエス様が身代わりに負い、私たちを滅びから、永遠のいのちへと移してくださるためでした。
イエス様は「ご自身が罪の身代わりとなって十字架で死ぬ」という父なる神のみこころに対して、苦しみ悶えて祈られました。
そして、ついに十字架を前にして、ご自分の正直なお気持ちを神に明け渡され、父なる神のみこころに従おうと、そのすべてをゆだねられたのです。
血の汗を流しながら祈られたイエス様の十字架は、あなたを滅びから救おうとされるあなたへの愛の現れです。
イエス様はあなたを愛し、みもとに招いておられます。

牧師コラム 『聖 霊』 2019年6月9日

牧師 高橋勝義

十字架で死なれたイエス・キリストは墓に葬られ、三日目によみがえられた後、四十日のあいだ弟子たちの前に現れました。そして神の国について語られたのです。
その後、天に戻られる時「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。(使徒1:8)」と約束してくださいました。
また、「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主(聖霊)はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。その方(聖霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。(ヨハネ16:7,8)」とも語られました。
事実、イエス様が復活されてから50日目に、集まった人々の上に聖霊が天から下りました。その聖霊に満たされた弟子たちは、他国のいろいろなことばを話し始め、力強く、大胆に福音を語ったのです。(使徒2:3,4)
それはイエス様がローマ兵に捕らわれた時、その主を見捨てて逃げ去った同じ弟子たちでした。
その場にいた人々は、自分の国のことばで福音を聞き、心刺され、キリストの十字架は自分の罪の身代わりであると認め、悔い改め、そしてイエス様を罪からの救い主として信じたのです。

今、2000年前の十字架の出来事が自分の罪のためであることを認め、このお方を信じることが出来るのは聖霊の働きによるのです。また信じた全ての者が、新しいいのちを頂いて、この世を生き生きと歩めるのも、聖霊の力によるのです。

 十字架はあなたのためであると、聖霊はあなたの心に語りかけておられます。

牧師コラム 『イエス様のまなざし』 2019年6月1日

牧師 高橋勝義

私たちの人生に失敗はつきものです。しかし、大切なのはその後の歩みです。

イエス様は、『シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかける(試練)ことを願って、聞き届けられました。わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈ったので、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい(ルカ22:32)」と、シモン・ペテロに語りました。
驚いたペテロは、「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と答えるのですが、それに対して、イエス様は「今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います(ルカ22:34)」と言われたのです。
イエス様がサタンからの試練を許したのは、ペテロが本当の自分の姿を知ることによって、人の弱さをそのまま受け入れる者となるためだったのです。ですから、ふるいにかけられるのは、とても辛いことですが、とても貴重な経験でもあるのです。
事実、ペテロは大祭司の庭で捕らわれのイエス様を見つめていた時、3人もの人に「イエスと一緒にいた」と言われ、三度とも「知らない」と否定してしまいました。

その時、鶏が鳴き、イエス様が振り向いてペテロを見つめたのです。

ペテロは、外に出て激しく泣きました。それは自分のふがいなさと同時に、そのまなざしに「愛」を感じたからです。それは、ご自身を否定してしまったことを責めるものではなく、赦し、受け入れ、支える愛のまなざしだったからです。
その同じイエス様のまなざしが、あなたにも注がれているのです。
あなたの弱さも失敗も、ありのままを受け入れ、あなたのために祈って下さるイエス様を信じ、その愛に生きる歩みをしませんか?

牧師コラム 『誰が一番偉いか』 2019年5月26日

牧師 高橋勝義

イエス様は、十字架を前にした弟子たちとの過ぎ越しの食事の中で、ご自身を裏切る者がいることを告げられました。
驚いた弟子たちは、だれがそんなことをしようとしているのか、議論し始めるのですが、同時に「誰が一番偉いか」という議論も起こりました。(ルカ22:23,24)
いつの時代も、人々の間では、このような議論が起こるものです。
しかし、イエス様は、「あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。(ルカ22:26)」と、『神様の目から見た偉い人』について語ります。
そして、身をもってそれを教えるために、本来ならば『食卓で給仕をされる人』である神の御子イエス様ご自身が、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとい、泥にまみれた弟子の足を洗い、腰の手ぬぐいでふかれたのです。これには、弟子たちもさすがに驚きました。師であるイエス様みずからが、弟子の足を洗うことによって、互いに仕え合うようにと模範を示されたのです。(ヨハネ13:4~15)

人は、仕えるより、仕えられることを求めるものです。

イエス様のような『仕える心』は、イエス様を救い主と信じ、その愛と赦しを味わった時に生まれます。生まれながらの私たちには、残念ながらその力がないのです。
「~して欲しい」と人に要求する者ではなく、私たちの内に住んでおられる聖霊なる神の力によって、人々を愛し、赦し、喜んで仕える者にならせて頂きましょう。

誰でも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます」(マタイ23:12)

2019年5月16日 クラフト教室・支援報告 第188回

・日時:2019年5月16日
・参加者:10名
・奉仕者:仙台教会4名、石巻教会1名

「おくすり手帳カバ- (1)」製作

チャペルタイム

「マザ-・テレサの生涯」
賛美:「主イエスの愛は」

今月と来月の製作は「お薬手帳カバ-」です。
皆さん、病院と仲良くの世代ですから、お薬手帳や診察券がひとまとめに収納できるおしゃれなカバ-に笑顔で手を動かしておられました。
チャペルタイムでは、有名な「マザ-・テレサ」の生涯をたどりました。
マケドニアで生まれ、18歳で献身しインドに渡った少女は36歳で神様の召しの声を聞き、最も貧しい人に仕える修道会『神の愛の宣教者会』を設立、さらにホスピス『死を待つ人の家』を開設、その生涯すべてを貧しき人々のために捧げて働きました。
1979年にはノ-ベル平和賞を授与されましたが、その壇上で「食べ物や着る者がない貧しいひとは世界中にたくさんいます。けれども、もっと惨めなのは、自分が誰からも愛されていない、必要とされていないと思う貧しさです。~ 」と語りました。
歳を重ね、重い心臓病で入院もした彼女を心配する人々に、決まって「天国に行ってからゆっくり休みます」と答え、世界中を回って神様の仕事を続け、やがて天国に旅立ちました。
貧しい人に仕え続けた彼女の生涯を支えたのは、貧しい家畜小屋でお生まれになった主イエス様の愛でした。どうぞクラフト教室の皆さんのためにお祈りください。

牧師コラム 『新しい契約』 2019年5月19日

牧師 高橋勝義

ユダヤ人にとって最も大切な「過越しの祭り」の日がきました。
この祭りは、かつて奴隷として苦しんだエジプトから、神様が救い出してくださったことを記念する祭りです。あの夜、神様の指示通り、戸口に子羊の血を塗ったユダヤの家々を神は過ぎ越し、血の塗られていないエジプト人の家の初子と家畜を神は打たれました。そして、ユダヤ人たちは、追われるようにエジプトを脱出できたのです。
さらに約束の地を目指して、荒野を旅するユダヤの民に、神様は祝福を約束する契約を交わしてくださったのです。モーセは神様のくださった契約の書(律法)を民に聞かせ、「主の言われたことはすべて行います。」と応答した彼らに、祭壇の雄牛の血を振りかけ、「主があなたがたと結ばれる契約の血である」と宣言したのです。(出エジプト24:1~8)
これが、神の民と交わされた契約(旧約)です。

過ぎ越しの祭りは十字架の前夜でした。弟子たちとの過越しの食事(最後の晩餐)でイエス・キリストは『パンを取り~「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」~「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。」(ルカ22:19,20)』と語り、パンとぶどう液を共に食したのです。
「この恵み(イエス・キリストの十字架)の故に、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物(プレゼント)です。行いによるのではありません。誰も誇ることのないためです。(エペソ2:8,9)」
イエス・キリストは、罪からの救い主としてご自分を信じる信仰により、あなたを全く新しい人生へと導いて下さるのです。これが神様と交わされる新しい契約です。

牧師コラム 『目を覚まして祈りなさい』 2019年5月12日

牧師 高橋勝義

イエス様は、これから起こることと、ご自分が再びこの世に来られること(再臨)を語られてから、いちじくの木のたとえを話されたのです。

「いちじくの木や、すべての木を見て、木の芽が出るのを見ると、すでに夏が近いことが分かるように、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近いことを知りなさい。~ すべてのことが起こるまで、この時代が過ぎ去ることは決してありません。天地は消え去ります。しかし、わたし(イエス・キリスト)のことばは決して消え去ることがありません。(ルカ21:29~33)」

イエス様が、再びこの世に来られるまでの間、戦争、迫害などが起こります。
また、人々の心は、日々の生活の思い煩いに悩まされながら歩んでいます。
そのため、人々は、神の国が近づいていることに気づきません。
いちじくの木のたとえから、イエス様は、突然やって来る再臨に備えるように「目を覚まして祈りなさい」と命じられたのです。

「あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です(詩篇119:105)」とあるように、神のことば(聖書)は私たちの進むべき道を示します。

心を定めて、イエス様を信じ、油断することなく(目を覚まして)、いつも祈りながらみことばに聞き従う歩みが、私たちを日々の思い煩いから解き放ちます。
また、世界中で起こる様々な出来事に一喜一憂せず、翻弄されず、惑わされず、これらの出来事から神の国が近づいていることを悟ることが出来るのです。
イエス様が再び来られることを心から喜んで、お迎えする備えをしましょう。