牧師コラム 『変貌されたイエス』 2018年2月11日

 牧師 高橋勝義     

 イエス・キリストはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登りました。
 そして、祈っておられると御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝き、その姿が変貌されたのです。
 弟子の一人であるペテロは、イエス・キリストの変貌に驚き、訳の分からないことを言い出しました。毎日見ている姿とは、全く違っていたからです。
 神であるのに、真の人となってこの世に来られたイエス・キリストが、まことの神であることを明らかにされたのです。

 「神が人となる。」人間の理性ではとても理解できないことです。

 しかし、聖書は『キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。(ピリピ2:68)』と語っています。
 神の愛は、私たちを滅びから救い、永遠のいのちを与えるために、人のすべての罪をイエス・キリストに身代わりとして負わせるほど深い愛なのです。
 ですから、人間の理性を遥かに超えているのは、当然のことなのです。
 十字架は、神に背を向けた私たちの歩みが誤りであることを示し、私たちに、神と共に歩む正しい歩みへと導く、神の愛のしるしなのです。
 そして、『実に十字架の死にまでも従われた』イエス・キリストは、十字架の死から三日目によみがえられました。人として歩まれたイエス・キリストは、私たちの苦しみや悩みをよく御存知です。
 このお方が、いつもあなたのかたわらにいて下さるのです。