牧師コラム 『さらにすぐれた故郷』 2018年6月24日

 牧師 栗原延元

 今回からしばらく、アブラハムについて学びます。
彼のことについては新約聖書のヘブル書11章8~19節にその信仰の生涯の要点がまとめられていますが、ひとことばで言うならば、アブラハムは「さらにすぐれた故郷」にあこがれてこの地上の生涯(波乱に満ち、次々に起こる困難に耐え)を送った人でした。
アブラハムは75歳のとき、天の神の声に聞き従い、故郷を出立します。ヘブル書の著者は、「どこに行くのかを知らないで、出て行きました」と言います。一見無謀な行動のように見えますが、このアブラハムの心の中には、神が設計し建設された天の都を目ざす思いが芽生えていたのです。
ですから、どこに行くのかを知らなかったと言われていますが、アブラハムは、どこに行ったとしても、何をなすべきなのかということを知っていました。それは、私どもは、地上では旅人であり寄留者であるということです。
私どものまことの故郷は天にあるのですから、天に国籍を持つ者として、この地上では、慎み深く謙虚に歩まなければなりません。
地上に宝をたくわえる生活ではなく、天に宝を積む者となることを、聖書から学んでいきます。

牧師コラム 『必要なことは一つだけ』 2018年4月29日

 牧師 高橋勝義  

 マルタはイエス様を家に迎えて、もてなしのために忙しく動き回っていました。
 しかし、妹のマリアはイエス様の足元に座り、主の言葉を聞いていました。
 マルタは、妹のこの態度にしびれを切らし「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。(ルカ10:40)」とお願いしたのです。
 イエス様は、『必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。(ルカ10:42)』と語ったのです。
 私たちは、事の大小にかかわらず、日々、決断しながら歩んでいます。
時には、自分の手に負えないような大きな問題に直面することもあります。
 問題を解決しようと動き回れば回るほど、空回りし、冷静さを欠き、訳が分からなくなってしまいます。このような時、聖書は、『イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)』と語っています。
 まことの神の前に静まりなさいと、聖書が語るのは、神の守りを思い起こし、神に信頼することこそが、問題を解決する力であることを教えているのです。
マリアはイエス様の御言葉を聞き、心にとどめることを最優先にしたのです。
 ですから、主は、『必要なことは一つだけです』と語ったのです。
 聖書は、『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる(マタイ4:4)』とあなたに語ります。

 あなたは、何を最優先にしますか…。

牧師コラム 『友なるイエス』 2018年1月1日

牧師 高橋勝義  

 聖書(箴言2717)には、『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。』と語られています。友を選ぶことは、人生の要なのかもしれません。
 中国のことわざに「朱に交われば赤くなる」とあるのもうなずけます。
 イエス・キリストは『わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら、父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。』(ヨハネ15:15)と語っています。あなたは、イエス・キリストの友なのです。
 イエス・キリストは、友であるあなたに天の父の思いを知らせるのです。
 天の父の思いとは、何でしょうか。
それは、失われたあなたを捜して救うこと、そのために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされたということです。
 創造の初めでは、まことの神と人とは親しい間柄でした。
 ところが、人は、まことの神から離れ、背を向けて歩むようになったのです。
 ですから、神の側からすれば、私たちは神のところから飛び出して行き、失われた人になったのですが、私たちにはその自覚がありません。
そこで、神と人とを隔てる壁()を打ち壊し、再びもとの親しい間柄になるために、イエス・キリストは、神に対するそむきの罪を身代わりに負って、十字架で死なれたのです。
 この十字架こそが、私たちを罪から救うための神の愛の証しであるのです。
 あなたが友だから、イエス・キリストは、あなたに天の父の思いを知らせ、あなたの今の姿を自覚させ、新しい歩みへと導こうとしているのです。

牧師コラム 『絶望から希望へ』 2017年12月31日

牧師 高橋勝義  

 十二年の間長血をわずらっていた女は、医者の所に行き、あらゆる方法を試みましたが、病は直るどころか、悪くなってしまいました。それだけではありません。信頼していた医者からひどい目に遭い、財産をすっかり使い果たしてしまったのです。
 しかし、絶望のどん底にいた時、かすかな希望の光があることを知ったのです。その光とは、イエス・キリストです。
 女は、「イエス様の着物に触ることでもできれば、きっと直る(マタイ9:21)」と信じ、人ごみの中に分け入って、こっそりと、イエスの着物のふさに触ったのです。すると、あんなに苦しんでいた出血が、たちどころに止まったのです。
 ところが、イエスは、ご自身から力が出ていくのを感じ、あたりを見渡して「わたしに触ったのは、誰ですか」と言われました。ペテロは、「先生。この大勢の人が、ひしめき合って押しているので分かりません。」と答えました。
 隠しきれないと分かった、女は、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスに触ったわけと、たちどころにいやされた次第とを話したのです。
 話しを聞いたイエスは、女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。(ルカ8:48)」と言われたのです。
 光りであるイエス・キリストのところに一歩踏み出す勇気(信仰)が、絶望の中から希望を見出し、女はからだと心の癒しを同時に得ることが出来たのです。
 『期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。』箴言13:12
 あなたもこの女性のようにイエス・キリストのふところに飛び込んでみませんか。

牧師コラム 『救い主の誕生』 2017年12月24日

 牧師 高橋勝義 

 あなたは、家族の誕生日を覚えていますか。
 11月になると、街では、クリスマスソングが、あちこちから聞こえてきます。
 子どもの頃の私にとって、クリスマスは、ケーキが食べられる日でした。
 クリスマスとは今から約2000年前の夜、イエス・キリストが誕生した日なのです。
 その夜、野宿で夜番をしている羊飼いたちの前に御使いが現れ「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。(ルカ2:11,12)」と告げました。
 そこで、羊飼いたちは、ベツレヘムの町に出かけ、御使いが告げた通り飼い葉おけに寝ているみどりごを見つけたのです。
 それから、30年後、バプテスマのヨハネという人は、イエス・キリストを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネ1:29)」と語りました。
 私たちは、まことの神を知らず、神に背を向けて歩んでいるので、憎しみや怒り、妬みや恨みに心が支配され、様々な争い事を引き起こしてしまうのです。
 この心の根本にあるのが罪なのです。この罪を取り除くために、イエス・キリストは、人となってこの世(あなたのところ)に来られ、十字架で死んで下さいました。
 そのイエス・キリストは、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです(ルカ5:32)』とあなたに語っています。
 クリスマスは、神の子イエス・キリストが私たちの所に来て下さった喜びの時、だから世界中でお祝いするのです。

2017年12月7日 バイパス東仮設支援 第173回

日時:2017年12月7日(木)
場所:バイパス東仮設
参加者:10名
奉仕者:仙台教会:8名、 石巻教会:1名 宣教師:1名

 12月に入り、寒さも厳しくなって来ました。今日はバイパス東クラフト教室のクリスマス会です。クリスマスリースの材料をワゴン車に積み込んで、石巻へ向かいました。今回は、いつもの井内の仮設から車で10分ほどの石巻福音自由教会に場所を移して、クリスマスリース作りとクリスマス会です。
まずは、リース作りに取りかかりました。いろいろな自然の素材をグルーガンで、リースの土台に次々と付けて行きます。グリーンは、オレゴンもみの木、ヒムロスギ、ゴールドクレスト、ヒイラギ、木の実はシダローズ、マルシャリンバイ、アメリカフラの実、ヤシャブシの実、赤い実はサンキライ、千日紅、アンモビューム、雪のようにまっ白なコットン、姫リンゴ。ほとんどの材料は、奉仕者が時間をかけて集めた自然のものです。一時間もすると、緑と赤のコントラストが美しいオリジナルのリースが出来上がりました。できたてのリースを手にして、ひとりずつ、ツリーの前で記念撮影をしました。

 チャペル・タイムでは、クリスマスのワーッシップを賛美してから、「クリスマスの本当の意味」についてお話ししました。罪の中で苦しんでいる私たちのために、神様はひとり子のイエス様をこの世に送ってくださったこと、私たちの罪のために十字架で死んでくださったこと、そして死からよみがえってくださったこと、イエス様は、私たちを愛してやまない神様からのプレゼントであること。皆さん、うなずきながら熱心に耳を傾けてくださいました。

 その後、ハヤシライスとケーキのランチ・タイムです。食後のコーヒーを飲みながら、おしゃべりに花が咲きました。また、最初にこのクラフト教室を始めてくださった米国福音自由教会リーチ・グローバルの宣教師ローナ・ギルバート師が参加してくださり、最後のお祈りを捧げてくださいました。 おみやげには、名古屋福音自由教会から送って頂いた、美しい手作りの石けんのデコパージュを差し上げることができました。心のこもったクリスマスプレゼントを皆さんとても喜んでくださり、笑顔で帰って行かれました。

 「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つためである。」 
ヨハネ3:16

 今回も、全国の教会の篤いお祈りとご支援を頂いて、クリスマスの恵みをお伝えできたことを心から感謝致します。
吉田真知子